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地域の歴史(時系列)
参考文献:むつ市史、むつ市ウェブサイト、不動産登記オンライン指定日一覧、大湊尋常高等小学校各科郷土教育資料
【年表】
西暦(グレゴリオ暦・1582年10月以前はユリウス暦) 和暦(太陰太陽暦・天保暦・グレゴリオ暦) 出来事等
○:地域の歴史の項目 ●:その他の歴史の項目
788 延暦07 ○現むつ市大湊上町(旧字:大字大湊字横道下)に兵主神を勧請。
788 延暦07 ●最澄が比叡山に延暦寺を建立。
794 延暦13 ●平安京に遷都する。
801 延暦20 ●坂上田村麻呂が蝦夷を平定する。
807 大同02 ○猿ヶ森八幡宮が勧請といわれる。
862 貞観04 ○宇曽利山(恐山)霊場を慈覚大師が開基したという。
869-07-09 貞観11.05.29 ●貞観三陸地震が発生。
859-877 貞観年間 ○恐山三途川出水し、優婆像を押し流し正津川の橋に漂着した。後に3度まで同じく漂い来たので正津川に建置したという(優婆寺)。
915 延喜15 ○十和田火山(十和田湖)が大噴火。大規模な火砕流が周囲20kmを焼払った。
1128 大治03 ○大鍋平(現:大平)に西行法師の一族とされる佐藤清心が居を構える。
1184 寿永03 ●源頼朝、鎌倉に公文所・問注所を置く。
1349 正平04 ○八幡丸尹王を津軽平館から九艘泊(むつ市脇野沢)に移す。御所は順法寺(むつ市大字城ヶ沢)。
1361 正平16 ○宇曽利皮打(川内)湊成る。
1451 宝徳03 ○蛎崎蔵人が錦帯城を築く(むつ市川内町蛎崎)。
1451-10-15 宝徳03.09.21 ○蛎崎蔵人が南部に攻め入り、七戸城を落とす。同日、錦帯城炎上。
1453 享徳02 ○蛎崎蔵人が田名部代官山の合戦に敗れ、渡島及び秋田に脱する
1457-02 康正03.02 ○陸奥の田名部において蛎崎蔵人の兵乱起こる。
1457 康正03 ●コシャマインの戦い。
1530 享禄03 ○円通寺が恐山を再興。
1556 弘治02 ○下風呂温泉を発見。
1588 天正16 ○下北半島における大地震・大津波で海岸線が大きく変動したという。
1603-03-24 慶長08.02.12 ●徳川家康が江戸幕府を開く。
1611-12-02 慶長16.10.28 ○下北一円に大津波。死者1000人あまり。猿ヶ森では海岸のヒバ林が埋没する(慶長三陸地震)。
1596-1615 慶長年間 ○大畑村に宮浦家が修験者として定着。
1630-06 寛永07.05 ○田名部地方大洪水。
1632 寛永09 ○南部藩主巡視の際、お島が音頭を取って盆踊りをする(おしまこ)。
1650-05 慶安03.04 ○大畑へ大安寺が草創。
1650-09-12 慶安03.08.17 ○横浜で西大風、田畑荒廃。
1652-06-09 慶安05.05.04 ○田名部新町で11軒焼失。
1657-03-02 明暦03-01-18 ●江戸で明暦の大火発生。
1657 明暦03 ○田名部領内の道路の屈曲を整理し、街道側に並木を植える。
1661-05-16 万治04.04.18 ○田名部小川町から出火、161軒焼失。
1661-05-24 寛文01.04.26 ○目名村、31軒焼失。
1663-06-23 寛文03.05.18 ○奥戸村で火災発生、27軒焼失。
1663-11-25 寛文03.10.26 ○異国間村火事。20軒焼失。
1665-12-19 寛文05.11.13 ○奥戸村火事。26軒焼失。
1668-10 寛文08.09 ○田名部に万人堂を建立。
1671 寛文11 ○円通寺と蓮花寺が恐山支配をめぐり争う。
1674-08 延宝02.07 ○湯野川温泉を発見。
1674-08 延宝02.07 ○田名部通で地震。
1675 延宝3 ○田名部大火、常念寺炎上。
1680 延宝8 ○田名部通一円、大風雨襲来。洪水のため不作となる。
1685-08-13 貞享02-07-14 ●生類憐れみの政策が始まる。
1695 元禄8 ○気候極めて不順、田名部は米価暴騰。南部藩領大凶作。冷害、皆無作。餓死者多い。窮乏甚だしい。
1698-09-18 元禄11.08.15 ○佐井着岸の商船が遭難。被害40艘。57人死亡。
1698 元禄11 ○川内新町で大火。
1699 元禄12 ○南部藩領大凶作。20768人が餓死。
1702-08-21 元禄15.07.28 ○東大風洪水で、大畑湊、異国間湊、奥戸湊、佐井湊で被害。
1703-09-29 元禄16.08.19 ○大風吹き、佐井浦に退避の船が27艘破損。
1688-1704 元禄年間 ○関根村が、関、大関、根古木などの小村を合して「関根」と改称。
1704 宝永01 ○太平洋岸大地震、津波。
1707-09-15 宝永04.08.20 ○前日からの大暴風雨で大洪水となり、大畑の漆木山杣夫35人が死亡。大畑浜では船10艘が破損し9人水死。
1707-12-16 宝永04.11.23 ●富士山が噴火(宝永大噴火)。
1725-01-14 享保09.12.01 ○暴風により田名部通の漁船が遭難。漁民15人水死。
1733-10 享保18.09 ○田名部本町大火。
1739 元文04 ○田名部通、地震。被害が各所に出た。海岸に海鳴りあり。
1740-07 元文05.07 ○田名部で大火。103軒焼失。
1741-03 寛保01.02 ○川内鍛冶町から出火、新町、川向を残し五町全焼。
1741 寛保01 ○大畑新町火事。
1742-02 寛保02.01 ○大畑南町火事。
1751 宝暦01 ○田名部通で麻疹が流行。
1754-08 宝暦04.07 ○田名部大洪水、町内4橋流失。
1754 宝暦04 ○田名部通、疱瘡流行。
1755-08-27 宝暦05.07.20 ○田名部洪水。
1755 宝暦05 ○南部領飢饉。凶作のため、田名部通の餓死した者144人(宝暦の飢饉)。
1756 宝暦06 ○南部領飢饉。前年の影響による。疫病も流行し餓死・病死併せて6万人あまり。
1758 宝暦08 ○南部領は霖雨で凶作となった。領内の田園が不毛の地となるものが多い。
1761 宝暦11 ○田名部の早掛に堤を築く。
1751-1764 宝暦年間 ○南部藩、芦崎に初めて松770本を植栽。
1771-05-01 明和08.03.17 ○大畑南町火事。23軒取壊し。死者1名。
1771 明和08 ○田名部村で大洪水。
1772 安永01 ○この頃、福浦村で歌舞伎を導入。
1774 安永03 ○田名部通で瘡病が流行。若死に多数。
1778 安永07 ○南部領は霖雨、大風雨、洪水で凶作となる。
1778 安永07 ○麻疹が流行。
1780 安永09 ○田名部の蓮花寺が廃寺となる。
1772-1781 安永年間 ○苫生野の平原に並木松を植える。芦崎も同じ。
1783-04-13 天明03.03.12 ○岩木山が噴火。
1783-08-05 天明03.07.08 ●浅間山が噴火。
1783 天明03 ○田名部通では大凶作のため津軽米の輸入が止まり困難する。太陽を見ることはほとんどなく、ヤマセ吹き続き、綿入れを着るくらい寒かった。餓死者多数。
1784 天明04 ○田名部通で前年からの悪食のため、傷寒大流行。死者多数。尻屋村の全37軒のうち103人が餓死。
1784 天明04 ○田名部通不景気。
1785 天明05 ○田名部通で天然痘が大流行。
1786-09-28 天明06.09.07 ○田名部通一体大洪水。特に大畑大洪水。
1787 天明07 ○田名部通で瘟疫(コロナウイルスか?)が流行。
1789 寛政01 ○田名部通一円、大凶作。
1792 寛政04 ○宇田村に八幡宮を勧請。
1796 寛政08 ○異国間の布海苔磯開きの日に大火に遭い、全村のほとんどが焼失。
1798-11 寛政10.10 ○田名部に天然痘が流行。
1806 文化03 ○岩屋村大火。
1808-04-27 文化05 ○大畑湊村火災、48軒焼失。
1809 文化06 ○南部藩主よりの触達により、異国間を易国間と改める。
1810-09-24 文化07.08.26 ○田名部、大洪水。
1811-03-12 文化08.02.27 ○奥戸村火災。75軒焼失。
1812-04-21 文化09.03.10 ○川内川大洪水。
1812-10-29 文化09.09.25 ○田名部、洪水。
1813 文化10 ○南部藩領大凶作。霖雨、早冷、収穫皆無のところが多い。
1814-08-02 文化11.06.17 ○大間洪水。
1814-11 文化11-11 ○白糠村大火。
1815-04-06 文化12.02.27 ○木野部大火。24軒焼失。
1815-04-16 文化12.03.07 ○田名部本町から出火、家160軒焼失。徳玄寺焼失。
1825-05-30 文政08.04.13 ○大畑高橋川山が自然発火し、火災発生。翌14日朝鎮火。大小木9000本を焼失。
1825 文政08 ○盛岡藩領大凶作。霖雨、大風雨、低温。
1827-02-11 文政10.01.16 ○川内村で26軒焼失。
1827-09-09 文政10.07.19 ○大畑村本町で40軒焼失。
1832 天保03 ○南部領凶作。
1833 天保04 ○川内川大洪水。
1834-05-08 天保05.03.30 ○川内・新町で僧が放火し、80戸を焼失する。
1835-01-20 天保05.12.22 ●ニカラグアのコシグイーナ火山が大噴火。天保の大飢饉を引き起こす。
1836 天保07 ○盛岡藩領霖雨寒冷大飢饉。大風雨、霜害で皆無作の地域が続出。
1837 天保08 ○盛岡藩領寒冷のため大飢饉。疫病流行し死者多数。
1838 天保09 ○南部領の収穫皆無のところが多い。
1840-03-27 天保11.03.27 ○川内川大洪水。材木2000石流失。
1840-07-28 天保11.07.28 ○大佐井新町から出火、70軒焼失。
1849-04 嘉永02.04 ○川内新町稲荷堂付近から出火した火事により、寺社が焼失する大火となる。
1853-07-08 嘉永06.06.03 ●浦賀にペリーが来航する。
1856-08-23 安政03.07.23 ○安政八戸沖地震発生。損害あり。
1857-05-30 安政04.05.08 ○田名部大火。55軒焼失。
1865-06-21 慶応01.05.28 ○奥内村、26軒焼失。
1865-09-05 慶応01.07.16 ○田名部通一円大雨。被害甚大。
1867-11-09 慶応03.10.14 ●大政奉還。
1868-04-20 慶応04.03.28 ●神仏分離令公布。
1868-08-11 慶応04.06.23 ○柳町を除く各町内で田名部川が増水氾濫し、町内を船で往来する。
1868-10-23 明治01.09.08 ●明治と改元(慶応4年元日に遡って明治元年とされた)。
1868-11-06 明治01.09.22 ●野辺地戦争起こる。
1868-11-06 明治01.09.22 ●会津藩降伏。
1869-04 明治02.03 ○田名部川が氾濫。町内の一部で被害。
1870-02 明治03.01 ○下北地方は斗南藩領となる。藩庁は五戸におく。
1870-07-08 明治03.06.10 ○斗南藩関係者約1500人が大平へ入港、翌日上陸。
1871-04-14 明治04.02.25 ○斗南藩において、安渡村と大平村の2ケ村を合併し、大湊町と改称する。
1871-08-29 明治04.07.14 ●廃藩置県。
1872-08-04 明治05.07.01 ○田名部郵便局開設。
1873-01-01 明治06.01.01 ●太陽暦実施。太陰暦の明治5年12月3日。
1874-02-01 明治07.02.01 ○大湊小学校創立。
1874-08-18 明治07.08.18 ○田名部病院(青森県済衆病院田名部分院)創設。
1878-10-08 明治11.10.08 ○大湊村神社分離事件の判決の結果、大平側が勝訴。
1879-09 明治12.09 ○大湊村から大平村が分離独立。
1886 明治19 ○大湊、城ヶ沢、関根各村においてコレラ患者続発。
1889-04-01 明治22.04.01 ○町村制施行。「川内村」として川内村・桧川村・宿野部村・蛎崎村が合併。
1889-04-01 明治22.04.01 ○町村制施行。「大畑村」として大畑村と正津川村が合併。
1889-04-01 明治22.04.01 ○田名部村(田名部、奥内、中野沢、関根の4ケ村合併)となる。
1889-04-01 明治22.04.01 ○町村制により、大湊村(城ヶ沢、大湊、大平の3ケ村合併)となる。
1896-05-28 明治29.05.28 ○田名部新町にて炉火の粗漏より出火。大川を越えて小川町・本町へ燃え広がり、249戸全焼。外に小学校・村役場・収税署・登記所・郵便局・郷社等も類焼。
1896-06-15 明治29.06.15 ●午後7時32分、明治三陸地震が発生。
1897-08 明治30.08 ○「陸奥汽船合資会社」青森~脇野沢~川内~大湊間の定期航路を蒸気船で開設。
1899-01-01 明治32.01.01 ○田名部町制施行。
1899-09 明治32.09 ○大湊村中山・宇田で赤痢蔓延。
1900-09 明治33.09 ○赤痢が流行し、17名死亡。川守に臨時隔離病舎を設置。
1902-01-24 明治35.01.24 ●八甲田雪中行軍遭難事件発生。
1902-07-25 明治35.07.25 ○大湊水雷団が開庁。
1905-12-12 明治38.12.12 ○大湊要港部が開庁。
1908-04 明治41.04 ○皇太子(後の大正天皇)が大湊を行啓。
1910-03 明治43.03 ○大湊要港部水源地完成。
1910-08-12 明治43-08-12 ○夕方より大雨となり、小荒川、大沢川、宇田川氾濫。大湊遊郭内石垣破壊。
1910 明治43 ○大湊村に演芸場が完成(のちの大湊ロマンス座)。
1912-07-30 大正01.07.30 ●明治天皇が崩御。皇太子嘉仁親王が践祚。大正と改元。
1913-01-05 大正02.01.05 ○午後9時40分、村社宇田八幡宮より出火。午後10時半鎮火。
1913-08-27 大正02.08.27 ○夜9時かから暴風暴雨となり、小荒川氾濫。川守、宇田に石垣の破壊多い。死者あり。
1914-07-28 大正03.07.28 ●第一次世界大戦始まる。
1915-03-26 大正04.03.26 ○田名部常念寺の本尊阿弥陀如来像、国宝に指定。
1915 大正4 ○佐井村磯谷で全戸赤痢患者を出す。
1918-07-03 大正07.07.03 ○皇太子(後の昭和天皇)が大湊を行啓。
1918-07-22 大正07.07.22 ●1918年米騒動が発生する。
1918-10 大正07.10 ○大湊町で腸チフスが蔓延し9名死亡。スペイン風邪も大流行する。
1918-11-11 大正07.11.11 ●第一次世界大戦終わる。
1921-09-25 大正10.09.25 ○大湊線開通。(野辺地~大湊間)。
1921-12-14 大正10.12.14 ○田名部運輸軌道、田名部駅前-田名部新町間が開業。鉄道馬車が現:赤川駅から田名部新町まで運行した。
1922-03-01 大正11.03.01 ○田名部運輸軌道、田名部新町-田名部柳町間の開業許可。
1922-08-25 大正11.08.25 ○田名部川が増水氾濫し、被害家屋は200戸余りに及ぶ。
1923-03-09 大正12.03.09 ○安部城鉱山、休山を発表。
1923-09-01 大正12.09.01 ●関東大震災発生。
1923 大正12 ○東通村老部、白糠、小田野沢で赤痢が蔓延し11名が死亡。
1925-10-04 大正14.10.04 ○大湊尋常高等小学校新築落成。
1925-12-21 大正14-12-21 ○田名部川が増水氾濫し、横迎町、明神町、新町は船で避難する。浸水家屋は300戸に及ぶ。
1926-12-25 昭和01.12.25 ●大正天皇が崩御。皇太子裕仁親王が践祚。昭和と改元。
1927-03 昭和02.03 ●昭和金融恐慌。
1927-03 昭和02.03 ○川内郵便局特設電話開通。
1928-11-10 昭和03.11.10 ○大湊町制施行。
1929-09-04 昭和04.09.04 ●世界恐慌始まる。
1931-03-09 昭和06.03.09 ○県下一帯に強震。震源地は尻屋岬沖。
1931-09-18 昭和06.09.18 ●満州事変。
1931 昭和06 ●全国的に不況が更に激化。
1931 昭和06 ○下北郡内の凶作被害甚大。
1932-04-02 昭和07.04.02 ○大畑町で火災。360戸が焼失。
1932-05-15 昭和07.05.15 ●五・一五事件。
1933-03-03 昭和08.03.03 ●昭和三陸地震発生。三陸地方に大津波。
1934-03-21 昭和09.03.21 ●函館大火。
1934-04-18 昭和09.04.18 ○脇野沢村本村下町から出火。清水町・下町・本町・谷地町・上町・浜町の153戸を全焼する。
1934-05-01 昭和09.05.01 ○大畑村が町制施行。
1934 昭和09 ○下北地方の凶作が深刻。
1935-01-01 昭和10.01.01 ○青森測候所田名部支所開設。
1936-02-26 昭和11.02.26 ●二・二六事件。
1936-09-27 昭和11.09.27 ○暴風雨のため田名部川氾濫、行方不明4人、橋流失4か所。大湊線近川-陸奥横浜間の線路決壊。
1936-10-04 昭和11.10.04 ○大湊地区大暴風雨。
1936 昭和11 ○大間鉄道の工事着工。
1937-02-23 昭和12.02.23 ○大湊町営バスの運行が可決される(宇曽利川~田名部柳町)。
1937-09-24 昭和12.09.24 ○恐山の寺務所・庫裏全焼。
1938-01-17 昭和13.01.17 ○大湊要港部、「要塞地帯の測量・撮影等の取締規程」を制定。
1939-01-07 昭和14.01.07 ○大湊町常楽寺の火葬場全焼。
1939-12-06 昭和14.12.06 ○大畑線(大湊-大畑間)が開通。
1940-03 昭和15.03 ○大間鉄道の工事が本格化。
1940-08-28 昭和15.08.28 ○大暴風雨により、大畑橋が流失。
1941-03-18 昭和16.03.18 ○田名部運輸軌道、田名部駅前-田名部柳町間廃止。
1941-04-17 昭和16.04.17 ●日本放送協会青森放送局がラジオ放送を開始。
1941-08-06 昭和16.08.06 ○大湊映画劇場が開館(現在の大湊新町)。
1941-12-08 昭和16.12.08 ●太平洋戦争始まる。
1942-01 昭和17.01 ○大湊町大平地区に松ヶ丘住宅建設。
1942-09-10 昭和17.09.10 ○大畑町で赤痢が発生し7名が死亡。
1942-10 昭和17.10 ○大湊町大平字一本松に一本松住宅建設。
1942-11-19 昭和17.11.19 ○下北地方で豪雨、田名部川氾濫。
1943-09-15 昭和18.09.15 ○田名部~脇野沢間に省営バス開通。
1944-08-03 昭和19.08.03 ○下北バス尻屋線運行開始(田名部~入口)。
1944-09-03 昭和19.09.03 ○川内町で赤痢患者が発生し、17名が死亡。
1944-10-28 昭和19.10.28 ○田名部斗南ケ丘酪農地帯できる。
1944-12-07 昭和19.12.07 ●昭和東南海地震発生。
1944-12-15 昭和19.12.15 ○脇野沢村で鱈が大漁、この日15万尾水揚げ。
1945-06 昭和20.06 ○大畑町役場新築落成。
1945-07-15 昭和20.07.15 ○米艦載機により、大湊湾内に停泊中の駆逐艦橘と海防艦2隻が沈没、駆逐艦柳と海防艦1隻が大破。
1945-08-09 昭和20.08.09 ○大湊空襲。大湊港に碇泊中の常磐・柳が大破。乗組員126人が戦死。
1945-08-15 昭和20.08.15 ●終戦。宮城事件、玉音放送。
1945-08-17 昭和20.08.17 ○大湊海軍航空隊の中尉が飛行機で大湊上空から「大日本帝国海軍はまだ健在、戦争はこれから……」というガリ版のビラをまく。
1945-08-22 昭和20.08.22 ○海軍徴用船「浮島丸」、在日朝鮮人3700人余を乗せて釜山に向け大湊出港。
1946-02-01 昭和21.02.01 ○大湊保健所開設。
1946-11-03 昭和21.11.03 ●日本国憲法公布。
1946-12-21 昭和21.12.21 ●昭和南海地震発生。
1947-01 昭和22.01 ○脇野沢村の滝山・源藤城・寄浪・蛸田・九艘泊に送電、電灯がつく。
1947-02-11 昭和22.02.11 ○大湊公民館設置。
1947-05-03 昭和22.05.03 ●日本国憲法施行。
1947-05 昭和22.05 ○外地からの引揚者、大湊に来町。一本松(文京町)、元町(大平町)、川守(川守町)、大近川(桜木町)の旧軍用宿舎へ収容。
1948-12-01 昭和23.12.01 ○本田名部駅を田名部駅、田名部駅を赤川駅と改称。
1949-10 昭和24.10 ○下北商工会議所設立。
1949-11-15 昭和24.11.15 ○大湊町大平の願求院焼失。
1951-04-13 昭和26.04.13 ○大湊中学校第一校舎焼失。
1952-04-01 昭和27.04.01 ○田名部小学校を第一田名部小学校と改称。
1952-10-08 昭和27.10.08 ○下北地方豪雨(田名部地区114ミリ)。
1953-05-04 昭和28.05.04 ○田名部西町より出火、住家15戸焼失。
1953-09-16 昭和28.09.16 ○海上自衛隊大湊地方総監部設置。
1954-01-21 昭和29.01.21 ○陸上自衛隊大湊駐屯部隊設置。
1954-09-26 昭和29.09.26 ●台風15号により青函連絡船洞爺丸が沈没。死者・行方不明者あわせて1155人。
1955-02-10 昭和30.02.10 ○航空自衛隊1090部隊大湊派遣隊設置。
1955-02-20 昭和30.02.20 ○下北地方で雨雪となり、田名部川の堤防決壊。家屋浸水120戸。
1958-01-31 昭和33.01.31 ○午前4時40分に出火、大湊小学校が全焼。
1958-09-18 昭和33.09.18 ○台風21号で田名部川氾濫。床下浸水350戸。
1958-09-27 昭和33.09.27 ○台風22号で田名部川氾濫。床上浸水207戸、床下浸水636戸、住家全壊1戸、半壊3戸。
1959-03-22 昭和34.03.22 ○NHK青森総合テレビ局開局。
1959-07-31 昭和34.07.31 ○大湊小学校円型校舎落成記念式典。
1959-09-01 昭和34.09.01 ○大湊町・田名部町合併。県下で8番目の大湊田名部市が誕生する。
1959-09-26 昭和34.09.26 ●伊勢湾台風が上陸。犠牲者5,098人。
1959-10-03 昭和34.10.03 ○木野部峠新県道開通。
1960-02-25 昭和35.02.25 ○国鉄大湊大畑線に気動車が運行。
1960-05-24 昭和35.05.24 ○チリ地震津波が襲来し、被害。
1960-08-01 昭和35.08.01 ○大湊田名部市の市名を「むつ市」に改称。全国初めてのひらがな名の市となる。
1960-09-01 昭和35.09.01 ○市立むつ病院が万人堂(小川町一丁目)に新築移転。
1961-07-20 昭和36.07.20 ○法務局田名部出張所がむつ出張所に改称。
1962-12-27 昭和37.12.27 ○むつ市新市庁舎完成(金谷一丁目)。
1963-09 昭和38.09 ○野平道路開通。
1964-02-11 昭和39.02.11 ○下北地方豪雪により、国鉄大湊・大畑線全面ストップ。
1964-04-01 昭和39.04.01 ○早掛沼公園が開園。
1964-04-10 昭和39.04.10 ○県立むつ工業高等学校開校。
1964-10-10 昭和39.10.10 ●東京オリンピック始まる。
1964 昭和39 ○大湊地区住居表示実施。
1964 昭和39 ○東日本フェリー、大間港-函館港の航路を開設。
1965-04-23 昭和40.04.23 ○三菱グループの撤退により「むつ製鉄」の事業断念を閣議決定。むつ市内で三菱グループに対する反感が強まる。無関係の三菱鉛筆の不買運動も発生する。
1965-09-05 昭和40.09.05 ○午前11時25分頃、大平地区に竜巻発生。現ローソン付近-マエダ大湊バイパス店付近-むつ工業高校縦断-大荒川沿い-海上と抜ける。住宅被害77棟など多数の被害。
1966-05-01 昭和41.05.01 ○市営下北ユース・ホステル開館。
1966-12-11 昭和41.12.11 ○むつ電報電話局新局舎完成(ダイヤル式電話開通)。
1967-03-05 昭和42.03.05 ○誘致企業「アツギむつナイロン(株)」操業開始。
1967-03-28 昭和42.03.28 ○新田名部川貫工。
1968-05-01 昭和43.05.01 ○田名部地区住居表示実施。
1968-05-16 昭和43.05.16 ○午前9時48分、十勝沖地震発生(むつで震度5、マグニチュード7.9)。むつ市役所庁舎3階が崩落、大畑線貨物列車脱線転覆、早掛沼堤防決壊など被害甚大。
1968-07-22 昭和43.07.22 ○下北半島国定公園に指定。
1968-12-10 昭和43.12.10 ●三億円事件。
1968-12-31 昭和43.12.31 ○法務局むつ出張所で登記簿・台帳一元化。
1969-02-17 昭和44.02.17 ○市立むつ病院がむつ総合病院となる。
1969-04-30 昭和44.04.30 ○法務局野辺地出張所で登記簿・台帳一元化。
1969-06-21 昭和44.06.21 ○むつ運動公園開園。
1969-08-24 昭和44.08.24 ○台風9号により上大畑橋流失、この年の大畑町の祭典で山車の合同運行を中止。
1970-01-03 昭和45.01.03 ○高松宮殿下来市(県中体連スキー大会)。
1970-07-19 昭和45.07.19 ○原子力船「むつ」入港。
1970-10-31 昭和45.10.31 ○法務局川内出張所で登記簿・台帳一元化。
1970-11-11 昭和45.11.11 ○北限のニホンザルが天然記念物に指定。
1970-11-30 昭和45.11.30 ○法務局大間出張所で登記簿・台帳一元化。
1970 昭和45 ○東日本フェリー、大間港-室蘭港の航路を開設。
1971-06-16 昭和46.06.16 ○秩父宮妃殿下来市(斗南藩百年祭挙行)。
1971-11-23 昭和46.11.23 ○むつ市勤労青少年ホーム開館。
1971 昭和46 ○東日本フェリー、大間港-戸井港の航路を開設。
1972-01-26 昭和47.01.26 ○むつ市消防団第6・7分団屯所(大湊消防署)完成。
1972-12-24 昭和47.12.24 ○釜臥山市民スキー場にリフト完成。
1973-09-24 昭和48.09.24 ○下北・上北地方で雷雨性の豪雨となり、田名部川の堤防決壊をはじめ各地で河川が氾濫。住家の床上浸水1,981戸、床下浸水1,146戸の他に土木、農業、畜産、上水道、電力、通信等の施設の損壊及び農作物や森林等に多大な被害。下北半島が孤立。総降水量は、田名部川上流の砂子又で461mm、むつでは24日に1時間降水量51.5mmを観測。
1973-10 昭和48.10 ●第一次オイルショック。
1974-08-26 昭和49.08.29 ○原子力船むつ、台風14号による隙を突いて漁船団の包囲網を破り、大湊港を出港。
1974-09-01 昭和49.09.01 ●太平洋上で原子力船むつの放射線漏れ事故が発生。
1976-07-31 昭和51.07.31 ○むつ市民体育館完成。
1976 昭和51 ○むつ市清掃センター完成。
1977-02-15 昭和52.02.15 ○むつ市で大雪。この日92cm積雪し最深積雪が170cmとなる。
1977-09-01 昭和52.09.01 ○むつ総合病院改築新病棟完成。
1977-09-04 昭和52.09.04 ○第32回国民体育大会(あすなろ国体)夏季大会開催(ボート競技)。
1977-09-05 昭和52.09.05 ○皇太子同妃両殿下来市。
1977-10-03 昭和52.10.03 ○第32回国民体育大会(あすなろ国体)秋季大会開催(バレーボール競技)。
1978-10 昭和53.10 ○幻の県道大間~川内~脇野沢線完成、「海峡ライン」と命名。
1978-12 昭和53.12 ●第二次オイルショック。
1979-11-27 昭和54.11.27 ○むつ墓地公園供用開始。
1980-04-01 昭和55.04.01 ○県立下北少年自然の家開所。
1980-04-10 昭和55.04.10 ○蟹田~脇野沢間、カーフェリー就航。
1980-11 昭和55.11 ○川内ダム建設による「水没者のための損失補償」等で野平住民が袰川に移転。
1980 昭和55 ○東日本フェリー、大間港-戸井港の航路を廃止。
1981-05-01 昭和56.05.01 ○水源池公園にむつ市学習センター開設。
1981-07 昭和56.07 ○川内川が二度にわたり氾濫。
1982-04-10 昭和57.04.10 ○運動公園に交通広場オープン。
1983-05-26 昭和58.05.26 ○午前11時59分、日本海中部地震発生(むつで震度5、マグニチュード7.7)。
1983-07-15 昭和58.07.15 ●ファミリーコンピューター発売。
1983-12-17 昭和58.12.17 ○釜臥山スキー場にナイター設備完成。
1984-04-11 昭和59.04.11 ○法務局むつ出張所がむつ支局へ改称・昇格。
1984-08-01 昭和59.08.01 ○下北郡大間町、風間浦村、佐井村、川内町、脇野沢村の登記管轄がむつ支局へ。大間出張所、川内出張所を廃止。
1985-07-01 昭和60.07.01 ○国鉄大畑線が民間経営「下北交通大畑線」となる。
1985-10-28 昭和60.10.28 ○下北文化会館オープン。
1986-04-01 昭和61.04.01 ○苫生小学校創立。
1986-06-09 昭和61.06.09 ○脇野沢村にリフレッシュセンター「鱈の里」完成。
1986-12 昭和61.12 ●バブル景気始まる。
1987-06-23 昭和62.06.23 ○高速旅客船「ほくと」就航。
1987-07-31 昭和62.07.31 ○国道279号線大畑バイパス(南端は正津川まで)開通。
1987-12-16 昭和62.12.16 ○原子力船むつ新定港(関根浜港)完成。
1989-01-07 昭和64.01.07 ●昭和天皇が崩御。皇太子明仁親王が天皇に即位。
1989-01-08 平成01.01.08 ●平成と改元。
1989-01-14 平成01.01.14 ○於法岳スキー場完成。
1990-06-02 平成02.06.02 ○斗南藩士上陸の地碑建立。
1990-08-19 平成02.08.19 ○「来さまい橋通り」完成。
1990-09-20 平成02.09.20 ○むつ市運動公園第2種公認陸上競技場完成。
1991-02 平成03.02 ●バブル景気の終焉。
1991-04-01 平成03.04.01 ○むつ市イベント広場オープン。
1991-06-07 平成03.06.07 ●フィリピンのピナトゥボ山が大噴火。1993年の冷害の一因となる。
1991-06-29 平成03.06.29 ○むつ中学校校舎改築落成式。
1991 平成3 ○東日本フェリー、大間港-室蘭港の航路を廃止。
1991 平成3 ○東日本フェリー、大畑港-室蘭港の航路を開設。
1992-05-15 平成04.05.15 ○釜臥山展望台オープン。
1993-04-01 平成05.04.01 ○むつ下北観光物産館まさかりプラザオープン。
1993-05-22 平成05.05.22 ○むつ市公民館(中央公民館・大湊浜町)新築竣工式。
1993-07-12 平成05.07.12 ○22時17分、北海道南西沖地震が発生。むつで震度4、マグニチュード7.8。
1993-07-16 平成05.07.16 ○仮称「むつ科学技術館」起工式。
1993-09-03 平成05.09.03 ○川内ダム完成。
1993 平成5 ○冷害が発生し、コメの食料市場が混乱する。下北半島の作況指数0。
1994-07-09 平成06.07.09 ○むつ総合病院改築落成式及び開業120周年記念式典。
1994-09-23 平成06.09.23 ○市内全域で大雨。大平地区から西側では豪雨状態となり時間雨量60mmを超え、釜臥山裏側に源を発する小川が氾濫、下流域で大規模な浸水被害。住家床上浸水131戸、床下浸水 244戸。降水量は、むつ測候所で86.0mm、大湊(海上自衛隊気象班観測)で171.7mm、大湊の時間雨量(16時から17時)は63.1mmを記録。
1994-12-28 平成06.12.28 ○21時19分、三陸はるか沖地震発生(むつで震度5、マグニチュード7.6)。
1995-01-17 平成07.01.17 ●阪神淡路大震災。
1995-09-16 平成07.09.16 ○ダイエー系列の大型店・アークスプラザが開店。
1995-10-28 平成07.10.28 ○国道279号線正津川バイパス開通。
1996-07-20 平成08.07.20 ○むつ科学技術館オープン。
1997-10-01 平成09.10.01 ○FMコミュニティ放送「FMアジュール」放送開始。
1998-05-17 平成10.05.17 ○釜臥山恐山線観光道路(かまふせパノラマライン)開通。
1998 平成10 ○むつ市商工会がむつ商工会議所に移行。
1998 平成10 ○東日本フェリー、大畑港-室蘭港の航路を廃止。
2000-04-01 平成12.04.01 ○むつ市立図書館移転オープン。
2000-04-03 平成12.04.03 ○NHK連続テレビ小説「私の青空」放送開始。大間町が舞台の一つ。
2000-09-13 平成12.09.13 ○国道338号むつバイパス開通。
2001-03-26 平成13.03.26 ○上北郡横浜町の登記管轄がむつ支局へ。野辺地出張所を廃止。
2001-03-31 平成13.03.31 ○下北交通大畑線廃線。
2002-03-01 平成14.03.01 ○国から「国立療養所大湊病院」の移譲を受け、「むつリハビリテーション病院」として開院。
2003-03-31 平成15.03.31 ○下北地域一般廃棄物等処理施設「アックス・グリーン」完成。
2003-04-01 平成15.04.01 ○むつ市公共下水道一部供用開始。
2004-08-01 平成16.08.01 ○川内町役場新庁舎完成。
2004-11-26 平成16.11.26 ○下北半島縦貫道路、野辺地北IC – 野辺地ハーフIC間開通。
2005-03-07 平成17.03.07 ●不動産登記法(全部改正)施行。
2005-03-14 平成17.03.14 ○むつ市、川内町、大畑町、脇野沢村が編入合併により「むつ市」となる。
2005-12-02 平成17.12.02 ○下北半島縦貫道路、野辺地ハーフIC – 野辺地IC間開通。
2005-12-05 平成17.12.05 ○法務局むつ支局の商業登記コンピュータ化。
2006-04-01 平成18.04.01 ○ウェルネスパーク・むつ来さまい館オープン。
2006-09-19 平成18.09.19 ○脇野沢新庁舎完成。
2006-12-26 平成18.12.16 ○釜臥山スキー場キッズゲレンデ・ファンパーク利用開始。
2008-03-28 平成20.03.28 ○水源池大橋開通。
2008-04-01 平成20.04.01 ○「青森県立下北少年自然の家」が青森県より譲渡、「むつ市下北自然の家」に名称変更。
2008-04-28 平成20.04.28 ○法務局むつ支局がオンライン庁となる。
2008-12-18 平成20.12.18 ○地上デジタル放送むつ中継局が開局。
2009-01-23 平成21.01.23 ○JR下北駅新駅舎供用開始。
2009-09-24 平成21.09.24 ○むつ市役所新庁舎(中央一丁目8番1号)開庁。
2009-12-01 平成21.12.01 ○下北駅前広場全面供用開始。
2010-07-24 平成22.07.24 ○「道の駅わきのさわ」が改装、リフレッシュオープン。
2010-12-04 平成22.12.04 ○東北新幹線全線開業。JR大湊駅へ「リゾートあすなろ」導入。
2010-12-06 平成22.12.06 ○青森地方法務局で不動産登記事項証明書A4縦型化。
2011-03-11 平成23.03.11 ○東日本大震災発生(むつの最大震度4、マグニチュード9.0)。
2011-07-24 平成23.07.24 ●地上アナログ放送終了、地上デジタル放送移行(東日本大震災被災3県を除く)。
2012-02-01 平成24.02.01 ○記録的大雪により国道279号が通行止めになる等市民生活へ大きな影響。
2012-11-13 平成24.11.13 ○下北半島縦貫道路「有戸北バイパス」開通。六ケ所IC – 野辺地北IC間。
2013-07-01 平成25.07.01 ○みどりのさきもり館オープン。
2013-09-02 平成25.09.02 ○むつ警察署新庁舎開設。
2013-10-01 平成25.10.01 ○むつ自動車運転免許試験場開設。
2015-04-24 平成27.04.24 ○北の防人「大湊安渡館・海望館」オープン。
2016-01-18 平成28.01.18 ○法務局むつ支局の登記識別情報の折込方式発行開始。
2016-07-29 平成28.07.29 ○北の防人「大湊弐番館」オープン。
2017-04-10 平成29.04.10 ○むつ総合病院、血液浄化センター開設。
2017-11-15 平成29.11.15 ○下北半島縦貫道路「吹越バイパス」開通。横浜吹越IC – 六ヶ所IC間。
2018-05-25 平成30.05.25 ○むつ市役所敷地内にミニストップむつ市役所店がオープン。
2019-05-01 令和01.05.01 ●明仁天皇が譲位。徳仁親王が天皇に即位。令和と改元。
2019-12-15 令和01.12.15 ○大湊消防署移転・改築完成。
2019-12-23 令和01.12.23 ○下北半島縦貫道路・むつ尻屋崎IC – むつ東通IC間開通。
2020-01-15 令和02.01.15 ○日本国内で初めてCOVID-19の感染者が報告される。
2020-03-23 令和02.03.23 ○むつ市新大畑庁舎の供用開始。
2020-04-07 令和02.04.07 ●埼玉県、千葉県、東京都、神奈川県、大阪府、兵庫県、福岡県の7都府県に対しCOVID-19による緊急事態宣言が発出される。
2020-09-01 令和02.09.01 ○むつマエダアリーナ(むつ総合アリーナ)オープン記念式典。
2020-12-10 令和02.12.10 ○国道279号「二枚橋バイパス」全線開通。
2021-07-23 令和03.07.23 ●東京オリンピック始まる。
2022-01-31 令和04.01.31 ●COVID-19の青森県の累計感染者数が10,000人を超える。
2022-08-10 令和04.08.10 ●COVID-19の青森県内の累計感染者数が100,000人を超える。
2023-03-25 令和05.03.25 ○下北半島縦貫道路・むつIC – むつ尻屋崎IC間開通。
2023-05-08 令和05.05.08 ●COVID-19の感染症法上の位置づけが、季節性インフルエンザ等と同様の5類に変更となる。
2023-06-04 令和05.06.04 ○青森県知事選挙が執行。むつ市出身の宮下宗一郎が当選する。
2023-08-10 令和05.08.10 ○むつ市で観測史上最高の最高気温35.3℃を記録し、初の猛暑日となる。
(2024/11/10)
むつ市都市圏の経済規模が大きくない理由の考察
(リクエストをいただきましたので、この題で考察を書くことにしました。)
むつ市都市圏において、海上自衛隊大湊基地、東通原発、大間原発、リサイクル燃料貯蔵などの施設があり、工事中のものも含めて現在よりも人口及び経済が集積した都市圏(人口15万人程度)を形成するに十分な要素が揃っていると考える。しかし、現状は人口でその3分の1程度となっている。その理由について考察したい。
現在のむつ市都市圏が大きなものとなる機会は幾つかあった。その機会は下記の通り。
大湊開港論(1869年・明治2年~、1918年・大正7年~)
大湊要港部・海上自衛隊大湊基地(1902年・明治35年~)
むつ製鉄(1957年・昭和32年~)
むつ小川原ブーム(1972年・昭和47年~)
原子力関連産業の誘致(昭和末期頃~)
各々について、その機会がうまく活かされてくることはなかった。その理由として、都度都度発生した強烈な外的要因が挙げられる。
大湊開港論(1869年・明治2年~、1918年・大正7年~)
→斗南藩士の帰還、昭和金融恐慌・世界恐慌
大湊要港部・海上自衛隊大湊基地(1902年・明治35年~)
→終戦、防衛環境の変化
むつ製鉄(1957年・昭和32年~)
→三菱グループの撤退による頓挫
むつ小川原ブーム(1972年・昭和47年~)
→オイルショック
原子力関連産業の誘致(昭和末期頃~)
→東日本大震災
この他にも、地形的な問題で頓挫したものに「下北半島運河開墾」「青函トンネル」等があろう。下北半島運河については陸奥湾と太平洋の水位差などにより断念され、青函トンネルは海底地形の観点から津軽半島周りで建設されることとなった。
上記により、むつ市は何かが起こる都度発展の足掛かりを奪われ、現状として都市圏が小規模なものとなってしまっている。
(以下、追記します)
(2024/9/12)