日本海中部地震から40年
今日で、日本海中部地震から40年なのだそうです。
ということは。
当時の私は5歳でした、ということになります。
幼稚園に通っていた私は……
「ああ、この幼稚園には揺れる装置が付いているんだ」という、謎の誤った安心感を覚えていまして……。周囲が泣き叫ぶ中で、落ち着いていた記憶があります。子供の勘違いって恐ろしいですね。
お昼の地震でしたので、慌てて給食を食べさせられて家に帰された記憶があるのですが……。(今だと、給食を食べさせるのはどうかと思いますが、当時ですから)
その後、家族が迎えに来なくてですね。
どうやら、電話連絡網が途中で止まっていた様子でした。(これも、当時ですから。そもそも地震の時に電話連絡網はあてにならないはずですし……)
自宅の裏の海には津波が来ており、低いところの側溝がちょっとだけあふれた、という、そんな記憶もあります。
幼稚園は高台。自宅は海のそば。結果として幼稚園にとどまったのは、現在だと最適解になるのでしょう。
NHKではガソリンスタンドの映像が繰り返し流れていました。
RABでは農業会館の会議の様子が繰り返し流れていました。
地震の映像に関しては、そんなイメージです。
記憶も何もかも薄れていきがちですが、そもそも私ですらこうやって書いていかないと、本当に何も残らない予感がしています。
改めて対策を考え準備をするとともに、「ああ、もう、私自身が語り継ぐ立場になってしまった」と感じています。