戦争中の話
この時期になると、祖父や祖母の生前、色々なことを聞いていたことを思い出します。
この時期ですから、思い出すのは主に戦争中の話です。
祖母が言うことには……。
「配給は、大湊の菊池桟橋(現在のむつ市の中央公民館の付近)に取りに行かなければならなかった」
ということでした。歩いて結構な距離があります。近所に海軍があったのに、そこじゃないんだ……という印象です。当時は人口も結構あったでしょうに。
配給の物資を受け取った後、帰宅途中に「(当時の家の付近が)火事だ!」という話を聞き、物資を途中、知っている人に預けて慌てて帰った、ということもあったとか。
また、
「どこそこの畑に爆弾が落ちた」
という話もしていました。大湊町も町制区域なのに空襲を受けましたから、その話です。具体的な場所も把握していました。
当時、防空壕は、現在の宇田児童公園の上の方にあった、というような感じだそうでした。
祖父が言うことには……
「早めに招集されて戦地に行ったから、助かった。後から招集された人は戦況が厳しいところに連れて行かれ、みんな亡くなっている」
ということでした。
祖父は、確か中国だったような……。はっきりとは分かりませんから、調べてみないといけないでしょうか。
「海軍だったから、陸軍に比べてまだ食糧事情は良かった」
という話も聞きました。最も困窮した時でも、1日に大きめの乾パン1枚程度の支給はあったそうです。
こういう話は、どこかに残さないと消えていきますから……。
色々、考えてしまいます。