明治27年頃、海軍が来る前の大湊の、訛り
最近、仕事でバタバタしたり体調を崩す時もあったりして、このホームページをあまり更新できてないです。申し訳ないです。
体調を崩すと言っても大したことはないと思うので、ご安心を。というか、「老い」じゃなくてよかった、と思っています。
さて……。
以前、むつ市大湊の北洋館に行った時に取った写真を見ていました。館内の展示物は撮影自由でした。
取りまくりますよね……。
その中に「大湊四辺地質調査 明治27年7月2日」という地図があるのです。海軍に適した立地なのかの調査でしょう。
こちら、大湊に海軍が来る前はどのような感じだったのか、ということが分かる貴重な史料です。
写真に取ってきましたので、これをじっくり見て観察します。
すると……。
今の自衛隊の中を、川が流れています。山から流れてきた川が海に流れ込んでいます。土砂も流れてきているからか、若干の州をつくっています。
地図によると、この川が「大塚川」という名前だそうです。
現在、この川の名前を聞いたことがないです。いつの間にか消えてしまった河川の名前なのでしょうね……
……と、思ったのですが。
が。
これ、もしかして、「大塚川」(おおつかがわ)ではなくて「大近川」(おおちかがわ)なのでは??
大近川はあります。現在の大湊高校の住所が「大字大湊字大近川」ですよね。
ということは。
この、明治27年頃のこの地域の訛り、けっこう濃いですね。
……ということが分かりました。興味深いです。
